格差社会は無くならない。むしろ広がり続けるのが当然だ。その理由はいくつかある。
資本主義
現在、日本を含め多くの国が資本主義だ。資本主義はその性質上、全ての国民が平等にはならない。格差があるのが当たり前の社会なのだ。
子供の頃に”大富豪”と呼ばれるトランプを使ったゲームを友人同士で良くやった。このゲームのルールではプレイヤーは勝敗の結果に応じて"大富豪"や"大貧民"などと階級付けされる。そして次のゲーム開始前にカードの強制交換があるのだ。
- 大富豪:不要な(弱い)カード2枚を大貧民に渡す
- 大貧民:必要な(強い)カード2枚を大富豪に渡す
このルールがあるため大富豪は次のゲームも勝ちやすくなり、大貧民は負けから抜け出すことが困難になる。階級が固定化しやすくなるルールだ。
誰が考え出したゲームか知らないが、今思えば資本主義を見事に暗示しているようでもありとても恐ろしいゲームだと感じる。そして格差が進んだ現代社会では渡すカードは2枚よりもっと多いのではないだろうか。
念のため記載するが僕は資本主義に賛成だ。努力に応じて結果が良くなるのは大多数の人が望むことだろう。僕もそうだ。
格差の正体
では、格差が広がり過ぎる事を防ぐために収入に応じて税金を高くしてバランスを取るのはどうか。累進課税はどこの国でも行われている事だが、仮に全員の労働収入を同じにすると格差は無くなるのだろうか。僕が思う答えは「無くならない」だ。
なぜなら下の表に記載したように、1.堅実タイプのお金持ちは浪費を抑えてわずかな金額でも投資をするだろうし、4.浪費家タイプの貧乏人は投資などに興味は無く、あるだけのお金を使いきってしまうだろう。たとえ労働収入が同じでも5年後、10年後には資産額に大きな差が生まれていると思われる。
格差の正体はつまり、使い方・増やし方・守り方などお金に関する知識の差だ。お金持ちは圧倒的に投資や税金などに詳しい。
ゲームに例えるのはおかしいかもしれないが、最初は苦労したステージも攻略法を知ってしまうと簡単にクリア出来るようになるのと似ており、"人生"という名のゲームの攻略法に詳しければ当然、生きて行くのが楽になる。
一度破産したお金持ちが数年でまたお金持ちに戻るというのもそういう理屈だ。
表1:投資と浪費に関する考え方の違い
- 堅実タイプのお金持ちは投資をしてもっとお金持ちになる
- 浪費家タイプのお金持ちは浪費ばかりして貧乏人に落ちる
- 堅実タイプの貧乏人は投資をしてお金持ちを目指す
- 浪費家タイプの貧乏人は浪費ばかりしてもっと貧乏になる
知識の無いものが多額のお金を手にした場合
宝クジ当選・芸能人・スポーツ選手など、知識の無いものが急に大きなお金を手にするとどうなるか。もし2.浪費家タイプのお金持ちのままだとお金を上手く扱う事が出来ずに人生を台無しにしてしまうかもしれない。
格差の正体は知識の差だ。ルールを知らないものが勝ち続ける事は難しい。
表2:アドバイスと世間話に関する考え方の違い
- 堅実タイプのお金持ちはアドバイスを聞くのでもっとお金持ちになる
- 浪費家タイプのお金持ちはアドバイスを聞かずに貧乏人に落ちる
- 堅実タイプの貧乏人はアドバイスを聞いてお金持ちを目指す
- 浪費家タイプの貧乏人は世間話にしか興味が無くもっと貧乏になる
表3:儲け話とサギ話に関する考え方の違い
- 堅実タイプのお金持ちは儲け話を聞くのでもっとお金持ちになる
- 浪費家タイプのお金持ちはサギ話に騙されて貧乏人に落ちる
- 堅実タイプの貧乏人は儲け話を聞いてお金持ちを目指す
- 浪費家タイプの貧乏人はサギ話に騙されてもっと貧乏になる
格差を無くすことは出来ない
- 努力をして、アドバイスに耳を傾け、積極的に投資をする人
- 努力もせず、アドバイスに耳を貸さず、浪費ばかりする人
格差は広がり続けて当然だ。いや、資本主義の社会においては努力に応じた結果が出るのはむしろ平等とも言える。たくさん頑張った人がたくさんの結果を受け取るのは格差とは呼ばないのではないだろうか。
格差を無くすにはまずお金に関する知識の差を埋めなくてはいけないのだが、興味の無い人にそれを理解してもらうのはとても難しい。というか僕の経験上ではほぼ不可能だ。
野球に興味の無い人に「試合を見れ!」「素振りをしろ!」と言ったって『時間が無いし疲れるから嫌だ』と言われてしまうのと同じように、「本を読め!」「投資をしろ!」と言っても心に響かない人が大勢いる。
おそらく、得意げな顔で皮肉交じりに『本を読んでお腹が膨れるのかい?』と言い返される事だろう。
名言に込められた思い
チェスターフィールドの言葉で
"忠告はめったに歓迎されない。しかも、それを最も必要とする人が、常にそれを敬遠する。”
というものがあるが、真実であるがゆえの諦めと皮肉・悲しみを感じる。彼も何度も手を差し伸べようとしたのだろう。だがその度に救いを拒絶されたのだ。
であればもう、あとは成り行きに任せて傍観するしかないのではないだろうか。自分自身に集中し、ただひたすらに上を目指すだけだ。
もう彼らには救いの手さえ降りて来ない。全ては因果応報。
格差社会は無くならない。