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コロナウイルス関連~ニュースを見て思う~

連日、コロナウイルス関連のニュースを目にする。感じたことを書いてみる。

感染者と死亡者数

毎日、「xxxの国で何人が感染した」とか「何人が亡くなった」とかニュースで流れているが、当然の事として国によって国民の数は違うだろう。いったい何%なのかも分からない。感染者数もどうやって算出しているんだ。毎日全国民を検査している訳じゃないと思うし、無症状の人は?死亡した人数も病死や老衰、事故など様々な死因のうち、ウイルスで亡くなっているのは何%なんだ。

エンジニアとしては何の証拠も無い、比較対象も無い、経過観察も出来ない意味の無い数字を出されてもイライラするだけだ。

外出自粛による効果はどうやって測定するんだ。まさか、やるだけやって前後で比較はしないのか?

外出自粛による"買いだめ"は当然の行為

まず、大前提として"買占め"と"買いだめ"は違う。

買占めは一人で全てを買う事であり、10個商品があれば10個全てを買う事だ。"買占め"は良くないと思う。対して"買いだめ"は普段より多めに買うことであり、普段は1個しか買わないところ、備蓄として2個を買う事だ。

ニュースを見ていると"買占め"と"買いだめ"を混同している方もいるようだが、最近の状況を考えると買いだめは全く悪い事では無い。"必要な分"を購入するのは当然の事だ。

むしろ、スーパーも閉まるような水曜の20時過ぎに突如、「週末は不要不急の外出を自粛してください」と言い出した事が問題だ。週末を土日と定義した場合、準備期間は木金の2日だけだ。あまりにも直前過ぎる。

週末に外出する人が激減すれば様々なお店も開店する意味が無く、休業する可能性が考えられる。飲食店やスーパーも休みとなれば木金にスーパーに人が殺到するのは当然ではないか。「買いだめしないでください」なんて言う人もいるが、誰も何も補償してくれないこんな状況で、自分の身を守れるのは自分だけだ。

マスクとは話が違う。マスクが無くても死なないが、食事をしなければ人は死ぬ。

混雑の集中

スーパーの品薄状態を防ぎたいのであれば、2週間前など準備期間を長く取るべきだった。人も分散されて混雑も緩和されただろう。

通勤時の混雑を緩和するために「時差ビズ」と言っていた人間が、わずか2日間に購入活動を一極集中させたのはなんたる皮肉なのかと思う。

不要不急とは

不要不急とは?娯楽行為は自粛だとして、家に何も無い人が外に食事を買いに出るのは許されるのか。2日程度食べなくても人は死なないから不要不急に入らないのか。

冠婚葬祭で結婚式は自粛しても葬式なら仕方ないのか。

そもそも誰にとっての不要不急なのか。自分とは無関係のK-1などを非常識とするならば、葬式で集まるのだって無関係な人から見れば非常識となるだろう。

不要不急の定義は誰を主観とするかによって変わってしまう。

公共交通機関は止めないのか

外出を自粛と言うが、電車やバスは止めないのか。補償をしたくないので全ての判断は各自に任せるという事か。

だいぶ空いて来ているとはいえ、平日の電車は混雑しているが問題無いのか。遊園地がダメで東京駅や品川駅、新宿駅の人ごみは許されるのか。渋谷の交差点は?

 

下品なマウント行為

「自分は2か月分の食糧を備蓄している。今頃スーパーに行くなんて危機感が無いんじゃないの?」というような事を上から目線で言う人もいるが、状況なんて人それぞれだろう。

諸事情で収入が無くなった人に「なんで貯金しておかなかったの?自分は働かなくても2年は暮らせるよ」

とか

地震で家が倒壊した人に「なんで1軒しか家を持っていないの?自分は国内・国外に10軒の家を持っているよ」

とか

停電地域の人に「なんで自家発電機を持ってないの?自分はソーラーパネルと自家発電設備を持っているよ」

なんて言うのは勝手だが、誰しもがありとあらゆる事態に備えられる訳じゃないだろう。

今は非常に特殊な状況だ。下品なマウント行為は慎むべきだと思う。

「外出するやつは考えが甘い」という人

「感染の拡大を考えず外出するやつは考えが甘い。迷惑だ」という人もいるが、例えば2週間みんなが家に籠ったとしてウイルスは本当に無くなるのか。もし仮に無くならなかった場合はどうするんだ。1ヵ月籠るのか。半年籠るのか。1年籠るのか。つまり無くなるまで続けるのか。

その間に多くのお店が潰れて競争原理が働かなくなり、スーパーが潰れて食材の値段が10倍になったり、ガソリンが1Lあたり1,000円になったらどうするんだ。

コロナは急に現れた。コロナが無くなっても新たなウイルスが発生したら?

支給は現金だとか商品券とか

10万・20万という金額を話合うのもいいが、お店に商品が無かったら?近くのお店が無くなっていたら?

紙切れを貰っても意味が無いだろう。

自分は無関係という人

「自分は海外にも遊園地にも行かないから関係ない」という人も、あらゆる娯楽が無くなったような世界で、自分だけ無関係に今までと同じような生活が送れると思っているのだろうか。

会社も、自宅にいるだけで何の仕事もしない社員に対していつまで給与を補償してくれるだろうか。ボーナスはカット、手当もカット、社員はリストラ、失業者が街に溢れる。お金も無い。物も無い。生きるために仕方なく略奪行為をする人が出てくる。そんな状況になるかもしれない。

それでも無関係でいられるだろうか。

リスクをゼロにするのか

毎年、自動車事故で亡くなっている方もいるが、自動車は無くならない。一定数の事故を許容したとしてもメリットの方が大きいからだ。飛行機や電車もそうだ。

それ以外にも様々なものが原因で人は亡くなっている。しかしメリットが上回って許容されているものも数多くあると思う。

厳密に言えば、今までだって外出した時点で死亡確率は0.00?%は上がっていただろう。車にひかれるかもしれない。落下物が直撃するかもしれない。電車が脱線するかもしれない。刺されたり溺れたり転んだりするかもしれない。家を出なければ亡くならなかった人もいるだろう。

だがリスクをゼロにしようとすると生活が成り立たないから、ある程度のリスクを許容した上で外出していたのではないか。

だとすると、コロナウイルスもリスクの一つとして考え、自粛によって人間としての健全な活動が出来なくなって混乱するよりも、リスクを許容した上で今まで通りの生活をする方が最善という事はないだろうか。

 

コロナに感染しませんでした。

でも会社が無くなりました。

貯金も無くなりました。

店も無くなりました。

お腹がすきました。

さようなら。

 

それでいいのだろうか。