年収1,000万円を超えて感じたこと

過去から現在に至る道程と旅行の話

年収470万円の勤務時間

タクシー

2012年 35歳 正社員SE 年収470万円。

当時の僕はとても疲れていた。 朝は7時に家を出て仕事。夜に家に着くのは22~24時の間だった。 これまでの人生において一番残業していた時期だ。

 時間感覚の変化

長時間勤務が当たり前になると17時の食事がランチのように感じ、22時が定時でそこからが残業だ。定時で帰った日は『日付が変わるまでまだ2時間もある!今日は何でもできるぞ!』とワクワクしてしまうくらいだった。

昔、ニートだったときに曜日感覚がなくなったが、働きすぎても曜日感覚がなくなるということを初めて知った。土日も仕事をすれば平日との違いは感じなくなる。むしろ電車が空いていて嬉しいくらいだ。

無駄な通勤時間

山道

働く場所もとても遠かった。

当時は名古屋駅から電車で15分くらいのところに住んでいて、常駐している会社のオフィスは近かったが、構築の現場である客先は山の中。電車を乗り継ぎバスで通った。通勤時間は片道1時間半だった。その生活が4か月続いた。電車やバスの中で多少は寝れたが、家のベッドで寝たかったことは言うまでもない。

長時間労働の理由

営業担当者が無茶な納期の仕事を引き受けたため、僕らSEにシワ寄せが来た。10月スタートで3月納期という案件だった。当時の基本的な働き方は以下のような感じだ。

  • 6:00 起床
  • 7:00 家を出る
  • 9:00 現場で仕事開始
  • 20:00 現場の仕事終わり
  • 22:00 オフィス戻り(たまに直帰)
  • 23:45 終電で帰る
  • 26:00 就寝


一番忙しかった時は10日間で3回タクシーに乗った。終電で帰れなかったからだ。タクシー代を会社が出してくれたのは幸いだ。というか、当然か。そんな時でも家に戻って1時間ほど寝て起きてシャワーを浴びてまた出勤した。遅刻や欠勤はしなかった。休めば自分が苦しくなるだけだと分かっていたからだ。

現実感の喪失

ガラスの破片

プロジェクトのはメンバーは10人くらいで、それぞれ異なる分野を担当していた。全員が同じような長時間勤務だった。

ある日、メンバーが仕事中に倒れた。奥さんも子供もいる家庭人だ。

僕は目の前で人が倒れるのを見るのが初めてだったので、すぐに状況が理解できずヘラヘラと笑ってしまった。『なに、冗談かましてるんですかー?』と。

彼は笑いを取ろうとした訳ではなかった。意識を失って本当に倒れたのだ。

誰かが救急車を呼び、担架で運ばれていった。オフィスが騒然としていた。我に返って冷静な気持ちになってから彼の身がとても心配になった。

僕は働きすぎでおかしくなっていた。

どのくらい働いたのか

230時間くらいの勤務が3か月続き、4か月目は260時間に達した。
往復3時間の通勤時間を含めると拘束時間は300時間を超えていた。

些細なことも許せなくなり人間関係もギスギスしていた。景色は灰色だった。

それでも遊びたい

居酒屋

息抜きをしようにも普通の時間には飲みに行けないので、仕方なく午前0時から友達と飲みに行った。いくぶんストレスの発散にはなったが寝る時間が遅くなる分、翌日は辛かった。辞めたくて辞めたくて仕方がなかった。

僕はこのプロジェクトが終わったら他の会社に移ろうと決めていた。 

なぜ逃げ出さなかったのか

自分の会社からその企業に常駐していたのは僕一人だった。しかし1人、また1人と増えて気づけば他に4人も加わっていた。プロジェクトは別だったが、『自分が無理に抜けると会社ごと全員が契約を打ち切られて迷惑がかかるかも知れない』と思った。
終わりが3月と決まっていたため、『あと少しの辛抱だ』と無理をした。周りのメンバーも同じくらい働いていた。グチを言い合ったが一人だけ途中で抜けれるような雰囲気じゃなかった。

プロジェクトが終わって休日に外を歩くと青空と流れる川が美しかった。

なんだか勝手に泣けてきた。

今だから思うこと

青空と流れる川

今の僕なら最初からお断りするか、長くとも1ヵ月で抜けると思う。

最初に残業代を目にしたときは嬉しいような気もしたが、疲れが溜まってくると色々な事がどうでもよくなり思考能力も低下してくる。人間らしさを失ってまで働く必要はない。下手をすれば命に関わることだ。

倒れた彼は数週間で無事に復帰した。もう数年会っていないが、家族に囲まれて今でも元気に頑張っていると思う。

 

何よりも人間らしく生きることを大切にしよう。