年収1,000万円を超えて感じたこと

過去から現在に至る道程と旅行の話

無職の帰還~前編~

地震

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2011年 34歳 無職 年収0万円。

現場をクビになり婚約者にも振られ地元に逃げ帰った。

日々を過ごす

地元での生活にもすっかり慣れてだいぶ元気を取り戻して来ていた。まだ半年も経っていないが、東京でITエンジニアをしていたのが遠い過去のように感じられる。無職になり、時間だけはたくさんあるのでレンタルしてきた映画を見たり、1日中ゲームをしたりして過ごした。実家には戻ったが、洗濯やゴミ捨てなど自分の事は自分でやった。

働いていた頃に時間が無くてやれなかった事には何でもチャレンジ出来た。趣味の時間だったり、Skypeで英語を学んだりした。英語が話せれば外資系の会社に就職出来て高収入に繋がると考えていたので1時間2,000円の授業を週2回受けていたが、世間話が好きな先生だったので日本語で話す事が多く、英語はあまり身に付かなかった。でも楽しかった。

東日本大震災

地元に戻り数か月が過ぎた頃、3月11日に東日本大震災が起きた。地元に戻っていたので帰宅難民にはならずに済んだが、東京に居たら大変だったと思う。連日、ニュースでは被害の状況が放送されていた。引っ越しなどで貯金も少なくなり収入も無い僕だったが、被災した方達の事を思って2,000円だけ寄付をした。

人生2回目の失業保険

自己都合退職のため数か月待ったが、やっと失業保険が給付されるようになった。ちょうどこの頃、僕がIT業界に入るきっかけになった友人に2人目の子供が生まれた。思えば1人目が生まれた時のお祝いもしていない。何を贈ろうか迷った末に、カタログギフトを2人分贈った。

まだ働き出すには早いと思ったが、生きているとお金は必要になる。少しでも失業保険の給付期間を延ばすため、何か職業訓練を受けようと思った。英語を学ぶクラスが良かったが、開始時期の合うものがなく、WordとExcelなどオフィスソフトと簿記、ビジネスマナーを学ぶクラスがあり、そこに申し込む事にした。

久しぶりの面接

ハローワーク

ハローワークでは『簿記3級も既に持っているみたいだし、東京でIT業界で働いていたなら今さらWordなどを学ばなくても使いこなせるでしょう?』と当然のように言われたが、「簿記の試験では3級ではなく2級を受けます。Excelばかり使うところで働いていたのでWordはあまり使った事がありません。しっかりと基礎から学びたいんです。」と熱意を伝えたところ、

『試験は出来るだけ難しいものに挑戦してね?このクラスへの応募が多かったら、その時は申し訳ないけど遠慮してもらうからね?』と渋々申込みを許してくれた。結果、何とか希望のクラスに参加出来ることになった。

アルバイト

失業保険の給付に影響しない範囲でアルバイトをしようと思った。家の近くに新しくコンビニが出来るらしく面接に行ってみたが、『なんで東京から戻ってきたの?』と聞かれてうまく答える事が出来なかった。34歳という年齢もあったとは思うが、『正直コンビニは女性の仕事なんだよねー』と言われた。

そうなのだ。東京では男性はもちろん、外国人や年配の方も珍しくは無いが、僕の地元は"女は中で事務や接客、男は外で肉体労働"という考え方の町だ。人口は20万人に満たず、専門性の高い大学が1つだけあるが、いわゆる普通の大学というものは無い。大学が無いから20歳前後で結婚。当然デキ婚だ。離婚も多い。ドキュンも多い。頭脳労働をしたいなら町を出るしかない。

僕もこの町で暮らした10代・20代の頃は食品工場や農作業のアルバイトなどをしていたが、さすがに今さらそういった仕事をやる気にはなれなかった。無駄な出費を抑えて過ごすしかない。

人生2回目の職業訓練

職業訓練

職業訓練は楽しかった。東京ではギュウギュウの満員電車に揺られて通勤していたが、地元では親の車を借りて車通勤。途中にあるパン屋がお気に入りで、いつもそこでお昼ご飯を買って持って行っていた。訓練は様々な年齢の30人ほどが参加し、女性も多かった。僕は中学3年の途中からほとんど学校に通わなくなったため、人よりも学生生活は短い。だからなのか、こういった学校みたいな雰囲気を感じられるのはちょっと嬉しかった。

一人一人にPCが与えられ、カリキュラムに従って各授業をこなした。僕は目立つ事は控え、先生の邪魔にならないように、ひっそりと過ごしていた。中には結構"デキる"人もいて、なぜ東京へ行ってエンジニアにならないのか?と思った。

1日の授業が全て終わった後も自主的に居残りをして勉強を続けている人達がいた。最初のうち、僕は気にせず帰っていたが、日が経つにつれてやっぱりお節介焼きな僕は一緒に残って学習が進まない人の手伝いをするようになっていた。

偶然か必然か

クラスで一番若い女性は23か24歳で結構可愛らしい子だった。しかも僕が東京から地元に逃げ帰るきっかけとなった女の子と同じ苗字だという事が分かった。何という偶然だろうか。僕の中では既に最大レベルの警報が鳴っていた。絶対にあの子に近づいてはならない。危険だ。女は魔物だ。僕にとっての天敵だ。特にあの子はダメだ。ダメ、ゼッタイ。

はい、なんでしょう。

ディスプレイ

ある日、いつものように残業(自習組のお手伝い)をしていると例の女の子も残って自習していた。僕は離れて絶対に近づかないようにして他の人の学習に付き合っていた。すると例の女の子から『ちょっと分からないことがあるので教えて欲しいんですけど。』と呼ばれた。

僕は表面上は笑顔を装っていたが、心の中では爆弾に近づくような、断崖絶壁を覗き込むような、そんな心境だった。『これなんですけど。』と彼女が指さすPCの画面を見ると、"彼女いるんですか?"という文字が入力されていた。

 

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